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津家庭裁判所 昭和52年(少ハ)2号 決定 1977年11月30日

少年 M・I(昭三四・一・三一生)

主文

少年を昭和五三年一一月二九日まで特別少年院に戻して収容する。

理由

1  少年に対する本件申請の趣旨及び理由は別紙(一、二)のとおりである。

2  一件記録及び調査審判の結果によれば少年は昭和五二年七月二五日瀬戸少年院を仮退院したがその性格と生活態度の偏りと、勤労意欲の乏しさから就職先が安定せず、怠け癖が身につき、又々シンナー吸引に逃避する不安定な生活に及んでいたものでその影響により近隣に迷惑をかけ、更生保護会に入会するも些細な不満から仕事を休み、自室にてシンナーを吸引するなど、仮退院に当り定められた特別遵守事項に反することは明らかで上記申請の理由はこれを認めることができる。

少年は自己中心的な性格から不遇感、疎外感などからくる不満を抱き、自己の生活や行為に対する反省が見られず、その身柄を引取る適当な資源も見当らない現状では少年の健全な育成を期するためには更に強力な矯正教育を施す外はないので少年を主文掲記の期間特別少年院に戻して収容するのが相当であると認める。

よつて犯罪者予防更生法四三条一項、少年法二四条一項三号、少年審判規則五五条、三七条一項、少年院法二条四項により主文のとおり決定する。

(裁判官 川田嗣郎)

別紙一

保護観察の経過および成績の推移

保護観察の経過

五二、七・二五 瀬戸少年院を仮退院し、同日名古屋市瑞穂区○○町×丁目×番地の×、○○荘(叔母)R・B子の許に帰住し、名古屋保護観察所の保護観察下に入る。

七・二六 大阪府高槻市○○○町××、共同住宅に居住する実姉M・E子の許に旅行し、同人の許で生活することを話し合い、R・B子の許に帰宅する。

八・三 実姉の許に転居許可を受け実姉の許へ転居し、大阪保護観察所の保護観察下に入る。

同年八月五日から、同九月中旬頃迄の間、○○駅前の喫茶店(○○)にアルバイトとして働く、退職した理由は、九月末頃で同店が閉店になる予定のためである。

九月中旬頃 喫茶店を退職した頃から実姉宅でシンナーの吸引が始まる。

九・二八 実兄・M・Oや実姉M・E子、姉婿などからシンナーの吸引をやめるように説示されたが聞き入れなかつた。

九・二九 実兄・M・Oが交通事故死し、葬儀のため、三重県上野市内の実母の許に帰宅、以後、母の許に居住。

〔就業状況〕

五二年一〇月八日上野市内にある○○水産(魚屋)に就職し、同月二二日迄の間に八日間働いた。その後無断欠勤を三日間続けたため馘首された。一一月四日三重県保護会に委託されるまでの間稼働していない。

〔シンナー吸引状況〕

上記のとおり実姉の許に居住していた際にもシンナーの吸引がみられるが、五二年九月二九日母の許に帰宅し、五日後頃から毎日のようにシンナーを吸引するようになつた。五二年一〇月二八日自宅でシンナーを吸引している時母から警察に通報し、警察官に説示された。また、少年のシンナーの吸引は、近隣の者からも批難されるようになつていた。

五二年一〇月三一日少年の行動について母から元の担当保護司に相談があつたことから少年の居住が判明したため、津保護観察所では、大阪保護観察所と協議し、同日付で事件を受理し、津保護観察所において保護観察を再開始した。

〔更生保護会に委託の経緯〕

五二年一一月一日及び一一月二日の二回に亘り主任官は、少年と実母に面接し、少年のシンナー吸引が続いていること、勤労意欲がないこと、母の監護にも服さず、母の許に居住することは、少年の更生の場として適当でないことを考慮し、少年、母の同意を得て更生保護会に処遇の場を転換することとした。

〔更生保護会での生活状況〕

昭和五二年一一月四日更生保護会に委託した翌一一月五日から○○○○K・Kに就職、コンクリート注入工として一一月一〇日まで働いたが一一月一一日少年は頭痛を訴え休暇をとつた。同日午前中に同会の寮母にジュースを買いに行きたい旨告げて外出した。その帰途薬局でシンナーを一瓶購入し、寮内の自室に持込み吸引した。

上記の報告を受けたので、津保護観察所では引致を必要と認め、津地方裁判所宛引致状を請求し、同日発布を受け、直ちに引致に着手した。

主任官及び保護観察官が少年の引致に赴いたところ、シンナー吸引後でふらふらであり、洋服や靴下の着用が思うようにできない程であつた。

津保護観察所に引致、同日本人の質問調書を作成し、当委員会に対し戻し収容の申出をする旨、並びに審理開始の必要がある旨の連絡がなされたため、同日午後四時五〇分、中部地方更生保護委員会第一部において審理開始決定。

昭和五二年一一月一一日少年を津少年鑑別所に留置。

別紙二

申請の理由

少年は、中部地方更生保護委員会第一部の決定により、昭和五二年七月二五日犯罪者予防更生法第三四条第二項規定の(一般)遵守事項並びに中部地方更生保護委員会第一部の定めた下記の特別遵守事項

1 昭和五二年七月二五日までに名古屋市瑞穂区○○町×丁目×番地の×、○○荘二階R・B子のもとに帰住すること。

2 昭和五二年七月二日までに名古屋保護観察所に出頭すること。

3 シンナー等の使用は絶対にやめること。

4 仕事は勝手に休まず、黙つてやめないこと。

5 何事も保護司とよく相談し、その指示に従うこと。

を遵守することを誓約して、瀬戸少年院を仮退院し、以来、名古屋保護観察所の保護観察下にあつたが、同年八月三日少年は、実姉M・E子(大阪府高槻市○○○町××番地、共同住宅×棟×号室)の許に転居したい旨申出た。同保護観察所長は許可の申出を相当と認め、上記姉の許に転居を許可し、同年九月六日大阪保護観察所に事件を移送した、以来、少年は、大阪保護観察所の保護観察下にあつたが、昭和五二年九月二九日実兄M・Oが交通事故で死亡し葬儀のため、三重県上野市内の実母の許に無断で旅行したがそのまま実母の許で居住していることが判明した。昭和五二年一〇月三一日事件の移送をうけ、津保護観察所は、少年の保護観察を実施していたが、少年の素行、行状がおさまらず、実母の監督に服さないので同年一一月四日三重県更生保護会に委託保護したところ、昭和五二年一一月一一日遵守事項違反の事実があり更に他の非行をおかすおそれが濃厚となつたため、同保護観察所に引致し、調査の結果、戻し収容の申出を行なつた。

津保護観察所長の申出について審理するに

<1> 少年は、昭和五二年一〇月八日上野市内にある○○水産に魚屋店員として就職したが同月二二日迄の間に八日間働いたのみであり、その後も無断欠勤を続けた(特別遵守事項第四項前段違反)ため雇主から馘首された。

<2> 昭和五二年九月中旬頃大阪府高槻市○○○町××、共同住宅×棟×号室の実姉M・E子の部屋でシンナーを吸引したのをはじめ、同年一〇月二八日午後八時頃上野市内の母の許でシンナーを吸引し○○警察署員から補導を受け、更に昭和五二年一一月一一日三重県保護会の居室内においてシンナーを吸引していたものである。(一般遵守事項第二号、特別遵守事項第三号違反)。

上記の行為は、津保護観察所長からの戻し収容申出書、同所保護観察官○○○○作成にかかる本人の質問調書、同所保護観察官○○○○作成にかかる関係人の質問調書、同所保護観察官○○○○が○○警察署員○○から聴取した電話聴取書並びに保護観察記録等によつて明らかであり、本人の行為はいずれも仮退院の際誓約した一般遵守事項第二号ならびに特別遵守事項第三号ならびに四号前段にそれぞれ違背するものである。

少年のシンナー吸引歴については、昭和五一年六月二八日津家庭裁判所の送致決定書〔処遇〕意見の中にみられるとおり中学在学中からシンナーの吸引が始まり常習化しており精神病院に三回に亘り収容され治療を受けたことがある。

少年は、本件仮退院後も一ヶ月余にして、シンナー吸引を始め実母や実姉、その他関係者の度々の注意を受けたにも拘らずその指導に従わないので、実母等関係者は、少年の監護指導に困惑している状態である。少年がさきに送致された主因もシンナー吸引によるところが大であり、その性格基因には、意思薄弱で耐性の乏しいことがうかがえるため、更生保護会に委託し、強力な指導監督を続け、処遇の効果を期待したが、少年のシンナー吸引行為は改善されるきざしはみられない。

よつて、少年の性格を矯正するためには、これ以上保護観察を継続するよりも、再度施設に収容し本人に強い反省と自覚を促し、矯正教育をはかることが必要と認められる。

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